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ポップカルチャーの定番、ダンクの歴史から読み取る未来への布石

バスケットボールシューズとしてのルーツを持ちつつ、もはやスケートボードシューズの定番にもなったダンク程、ポップカルチャーと密着に結び付きのあるナイキのスニーカーは他にない。ファレル、ジャック・ニコルソンそしてマーク・ゴンザレス等の著名人が着用しているのが何よりの証拠だ。ダンクの歴史を紐解くことで、同モデルが何故、現在これ程の支持を受けているかを解明出来るであろう。今でこそ、ナイキの最も人気のある定番モデルの一つとして認識されているダンクだが、同モデルの過去は実に波瀾万丈だ。輝かしくカルチャーの頂上に登った瞬間もあれば、ファッションのメインストリームから離れた時期もあったのだ。

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1985年にスニーカーコレクターには同義語とも言えるモデルが2つリリースされた。ピーター・ムーアによって考案されたエアージョーダン1とダンクだ。ダンクのアッパーはナイキで既にリリースされていたエアーフォース1とターミネーターを融合させたデザインが採用され、更に当時最も人気を博していたナイキレジェンドを思い起こさせるタッチも織り交ぜられた。
「カレッジカラープログラム」のタイトルからも分かる様に、シューズのマーケティング戦略は大学バスケットボールチームとのスポンサーが土台となっていた。チームカラーに合う配色が採用され、選手の名前がそれぞれのシューズに刺繍された。シューズのローンチが、スラムダンクが最初にバスケットボールの試合で行われてから、40周年の節目と重なったことから同モデルの名称は「ダンク」に変更された。そして、シーンに大きな影響を与えた'Be True To Your School'キャンペーンと共にリリースされたのだ。ダンクのシンプルなワンピースのトゥボックス(先芯)とアイステイ(ひも穴補強)のデザインは、アイオワ、ミシガン、セントジョンズ、シラキューズ、ケンタッキー、ネバダ大学ラスベガス校等の大学の大胆な配色を表現するのに最適なキャバスとなった。この戦略とダンクの配色の様なスニーカーが他にほぼ存在しなかったことから、同シューズは大多数の若い男性層に絶大な支持を受け、ナイキにとっての大ヒット商品になったのだ。

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しかしながら、1980年代後半にはダンクはコート上で段々と見られなくなって来た。バスケットボールシューズ業界の技術進歩がダンクを劣性で、時代遅れなシューズにしてしまったのだ。スポーツスニーカー業界は大きく、テクノロジー重視に傾倒してゆく。 コート外でのダンクはといえば、依然として人気で、幾つかの微調整が加えられた。シュータンはナイロン製になり、スウーシュはより細長く、ボディーの下方に配された。
この時期にスケーター達がダンクを履き始めたのだった。そのデザインからすれば、決して驚くべき現象ではない。オーリーを主体としたトリックが中心となった事で当時のスケートシューズブランド、よりハイカットなシルエットと補強用の「オーリーパッチ」の開発を余儀なくされたが、ダンクには既にそれらの要素が備わっていたのだ。結局、スケーター達は上記と同じ理由で、ダンクと似たようなデザインを有したジョーダン1を既に履いていたのだった。伝説的なニューヨークシティのスケートクルー、シャットに所属していた、今は亡きビーズリーが1989年に黄色と黒を基調とした「アイオワ」ダンクを履いてスケートしたことは有名だ。これにより、ダンクはスケート界において、特に東海岸では文化的に重要な意味を持つようになる。
90年代はダンクにとって比較的地味な時期であったが、ナイキは1999年に'Be True To Your School'コレクションを再びローンチしたが、少なくとも1つの特筆すべき変更点が加えられた。「アイオワ」モデルのヒールにかの有名なウータンクランの記章が刺繍され、その希少性を保つべく、生産されたのはたった36足のみだった。 敢えて言うなら、その希少性がファンの購買欲を極限まで煽ったのだろうが、それはダンクに限った事例ではない。西暦2000年前後、インターネット上に浮上し始めたスニーカーフォーラムは後のリイシューやスペシャルリリースの人気沸騰に大きく貢献した。急成長を続けていたスケートボードシューズ産業に参入を試みた90年代中盤から終盤にかけて、ナイキは自社に何かが足りていない事を痛感する。
疑い深いスケート産業は事実上ナイキと、その不恰好で派手過ぎるスケートシューズを拒否し、より信頼の厚い、他のスケートボードブランドの味方をした。2001年にナイキはサンディー・ボデッカーをスケートボードラインのスタートアップに採用し、彼の最初の提案は80年代同様にダンクをスケートボードに再び取り入れる事だった。もちろん、当時の技術に合わせた多少のアップデートがなされた。分厚い、パフィーシュータンに弾力のある紐穴、かかとにはパッドが入り、クッション性の高いエアーズームインソールが採用されたのだ。 ボードをよりグリップするために、アウトソールもより分厚いゴムで強化された。

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この新たにリニューアルされたSBラインは大量のコラボレーションと限定カラーをリリースすることになる。実のところ、ナイキのダンク(とはいえSBラインでは無いが)が初めて他社のブランドとコラボレーションしたのは、2001年にリリースされたステューシーとのモカ/カーキ色を基調とし、オーストリッチレザーのスウーシュを配したダンク・ハイだった。翌年SBラインが公式にローンチされた時、ズーヨークやシュプリーム等が協業ブランドに名を連ね、それぞれダンクを彩った。その他にも、アンクル/フューチュラ2000やデ・ラ・ソウル、そして2005年のリリース時にヘッズを熱狂させたジェフ・ステイプルによる「ピジョン」ダンク等が主要なコラボレーション製品として挙げられる。
趣向の変化と新たなスニーカーのトレンドの台頭はダンク人気の劇的な衰えを意味し、一時はリセールマーケットで4桁ドル程の価値を誇った相場は、2000年代中頃までには100ドル未満にまで落ち込んだ。しかし、ダンク人気は再び復活し、最近ではコム・デ・ギャルソンやオフ・ホワイト等のハイブランドとのコラボを実現したり、ナイキがクラシカルな'Be True'のカラーウェイを今一度復活させた事が、人気再燃への道を切り開いたのだ。更には「カクタス・ジャック」ダンクが15年ぶりともいえる程、異次元のレベルで人気を博したトラヴィス・スコット等のアーティストもコラボレーション相手として名を連ねた。特にスコットはレアカラーもの履き、ネット上でバズを起こした事により、新しい世代をダンクに注目させた張本人である事は特筆すべきだろう。2月にロサンゼルス・レイカーズのレブロン・ジェイムスが会場入りする時にリーサルピンクのアンブッシュxナイキダンクを履いた事実は、アメリカンスポーツのキングですらブライトな赤紫を履きこなす事ができる事を証明した。
現在のダンクトレンドは衰える気配を全く見せない。大量の新たなコラボレーション企画が目白押しで、比較的手に入り易い、定番のカラーウェイも用意されている。優れたデザイン性の証かもしれないし、繰り返すファッション業界の本質とそのデザインの両方が人気に起因していると言った方が良いかもしれない。どちらにせよ、バズっているナンバーワンスニーカーとしてダンクが再びその地位を確立した事はかつてない程、時代を的確に象徴している様に思えて仕方が無いのだ。
Text: Samuel Trotman

Design: Ken Balluet

Translated by: Sho Mitsui