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クリスト&ジャンヌ・クロードの非合理的な芸術の輝き

クリストとジャンヌ・クロードは、頑固で粘り強い人たちでした。しかし彼らが20世紀で間違いなく最も並外れたアーティストになったのは、まさにそういった性格のおかげでした。50年以上におよぶ共同制作のキャリアにおいて、彼らは今まで制作されたなかで最大規模の、短期間しか存在しないパブリックアート作品を22点制作しました。世界そのものが彼らのキャンバスだったのです。

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Christo and Jeanne-Claude, Wrapped Coast, One Million Square Feet, Little Bay, Sydney, Australia, 1968-69 | Photo: Shunk-Kender

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Christo and Jeanne-Claude at The Gates, February 2005 | Photo: Wolfgang Volz

クリスト・ヴラディミロフ・ヤヴァシェフはブルガリアからの亡命者で、1958年に21歳のときに共産主義の東欧から無国籍でパリにやってきました。」私は世界に自分の居場所がないこと、自分が誰にも属さないことに腹を立てていた」とクリストは振り返っています。大学で美術を学んだ彼は、最初は皿洗い、やがて肖像画の制作で生計を立てるようになりましたが、物を包むという彼の特徴的なアイディアはその頃からすでに始まっていました。最初は布、ラッカー、糸を使って絵の具の缶を包んでいましたが、その後、郊外の工業地帯にあるガソリン用のドラム缶へと移行していきました。  ジャンヌ・クロード・ドゥ・ギユボンとクリストは同じ日に生まれました。クリストがジャンヌ・クロードの母親の肖像画の制作を依頼されたことがきっかけでふたりは恋に落ち、ジャンヌの家族は最初ひどく困惑しました。しかし1961年になるとふたりは情熱的なコラボレーションを展開するようになり、その後の結婚生活は生涯にわたるものとなりました。ふたりの昔のインタビューを聞いていると、彼らが常にワクワクしながら意見を交換しあい、作品のアイディアを膨らませていた様子がわかります。 

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Christo and Jeanne-Claude, The Umbrellas, Japan-USA, 1984-91 | Photo: Wolfgang Volz

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Christo and Jeanne-Claude, The Umbrellas, Japan-USA, 1984-91 | Photo: Wolfgang Volz

彼らの名前が知られるようになったのは1962年の「The Iron Curtain」という作品で、89個の使用済みのガソリン用のドラム缶を使って無断でサン=ジェルマン通りを封鎖するというものでした。これはアルジェリア戦争やベルリンの壁の建設をめぐるフランスの混乱を反映した、本質的に政治色の強い作品でした。この作品は午後6時から午前3時まで続き、地域住民はこの地域全体の交通を遮断したアーティストたちに水を浴びせました。これが公的介入の出発点でした。実現された数々の作品は、詩的で巨大なファンタジーでした。彼らはクチュリエのようなやり方で建築に取り組みました。例えば、彼らはパリのポン・ヌフを官能的で触知できる魅力的なものに変えました。そして山、美術館、橋、海、湖、樹木を題材にしました。彼らのアプローチは、彫刻、建築、インスタレーション、そして絵画を横断するものでした。彼らはサンドストーン、ピンク、シルバー、ゴールドなどの鮮やかな色彩を、顔料のかわりに色とりどりのメタリックな布で表現しました。1日を通して布地の輝きを変化させる光や自然も、彼らのコラボレーターでした。彼らのドラム缶もブルー、ピンク、イエローなどで鮮やかに彩られました。

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Christo and Jeanne-Claude, Valley Curtain, Rifle, Colorado, 1970-72 | Photo: Wolfgang Volz

彼らのプロジェクトの規模は巨大でした。ライヒスターク(ドイツの国会議事堂)を梱包するのに、25年かかりました。この作品では10万平方メートルのシルバーの布を長さ15kmのロープでつなぎ合わせたものが使われました。この作品を見るために、500万人が訪れました。彼らの作品で14日間以上続いたものはありませんでした。この一時的な性質が特別な要素をもたらしました。それは、ジャンヌ・クロードが「長く続かないものに対する人間の愛と優しさの本質。一つ一つのプロジェクトは、人生で一度しかないものでした」と指摘したものでした。「私たちは、今でも"once upon a time"(むかしむかし、あるとき...)という言葉が好きなのです。」彼らのプロジェクトで最も普通と異なっていた点のひとつは、完全に自己資金で行われていたことです。彼らの制作費はすべてクリストのオリジナルのドローイングやコラージュの売り上げで賄われました。彼はアシスタントを雇わず、額装も自分で行っていました。クリストは自らを「自分の芸術のために資本主義を利用することを学んだブルガリアのマルクス主義者」と表現したことがあります。その革新的な感覚は、プロジェクト終了後にすべての材料をリサイクルするという彼らの材料の扱い方にも応用されています。彼らはしばしば作品の制作に使った場所を清掃し、前よりも良い状態に戻していました。彼らは何年も構想を練り、リサーチを行い、作品を制作するための許可を得ようと努力していました。ふたりは決して同じことを二度繰り返さず、実現できなかったプロジェクトは少なくとも46件以上ありました。

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Christo and Jeanne-Claude, Wrapped Reichstag, Berlin, 1971-95 | Photo: Wolfgang Volz

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Christo and Jeanne-Claude, The London Mastaba, Serpentine Lake, Hyde Park, 2016-18 | Photo: Wolfgang Volz

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Christo and Jeanne-Claude, Surrounded Islands, Biscayne Bay, Greater Miami, Florida, 1980-83 | Photo: Wolfgang Volz

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Christo and Jeanne-Claude, The Floating Piers, Lake Iseo, Italy, 2014-16 | Photo: Wolfgang Volz (9) - Christo at The Floating Piers, June 2016 | Photo: Wolfgang Volz

今年、ジャンヌ・クロードの死から11年後にクリストは亡くなりました。彼は、アブダビの砂漠でドラム缶を使った高さ150mのマスタバ(古代エジプトで建設された墳墓の一種)を制作していました。完成したら、それは世界最大の彫刻になるかもしれません。クリスト&ジャンヌ・クロードの最後の作品は、彼らの死後に設置される予定です。もともと1962年に考案されたこの作品は、2.5万平方メートルのシルバーとブルーの布を、長さ7000mの赤いロープでつなぎ合せてパリの凱旋門を梱包するというもので、ポンピドゥー・センターで開かれる回顧展に合わせて制作されます。この作品は、美術史において唯一無二のキャリアを築いてきたふたりのアーティストにふさわしいエピタフ(墓碑銘)になるでしょう。彼らは、クリストの言葉によれば「完全に非合理的でまったく役に立たない」素晴らしい遺産を残すことになるのです。

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Christo at The Floating Piers, June 2016 | Photo: Wolfgang Volz

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Christo and Jeanne-Claude, The Pont Neuf Wrapped, Paris, 1975-85 | Photo: Wolfgang Volz

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Christo and Jeanne-Claude, Running Fence, Sonoma and Marin Counties, California, 1972-76 | Photo: Jeanne-Claude

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Christo and Jeanne-Claude, The Gates, Central Park, New York City, 1979-2005 | Photo: Wolfgang Volz

Text: Francesca Gavi

Images: © 2020 Estate of Christo V. Javacheff