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コンスタンティン・ブランクーシ:シンプリシティ(単純化)の反逆

抽象化とはどのようなものだろうか。コンスタンティン・ブランクーシの作品がなかったら、それは今日私たちが知っている形とはまったく違ったものになっていただろう。この彫刻家は古代の着想源と現代の技術を頼りに、極限まで削ぎ落とされた形態の斬新な美学を創造した。造形に対する彼の革新的な取り組みがなければ、今日私たちが知っているデザイン、建築、アートは存在しなかっただろう。しかし100年以上前に彼が現れたとき、シンプリシティは反逆だった。

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ブランクーシは1876年にルーマニアに生まれ、ブカレストなどで学んだのち1904年にパリのエコール・デ・ボザールに入学した。彼は1907年にオーギュスト・ロダンの工房で助手として働き始めた。最初は動いているかのように現れては消えて見えるロダンの彫像の断片化の手法に触発されたものの、粘土で型取って鋳造するロダンの昔ながらの技法に次第に不満を募らせるようになった。彼が工房を離れたとき、その思いは自分の道を見つけるきっかけとなった。ブランクーシは石を直接彫るという原点に立ち戻った。1908年の時点ではこれはラディカルな試みだった。1910年に制作された「Sleeping Muse(眠れるミューズ) 」は、この転機から生まれた作品の典型だ。アーティストのマルギット・ポガニーの肖像は横向きに置かれた頭部に集約されている。彼女の顔の造作は卵のように単純化されている。のちに光り輝くブロンズで鋳造されたこの石彫は、美の概念を再定義した。「The Kiss (接吻)」の表面上のプリミティヴィズムも同様に革命的だった。ここではまるで人類の原型のような粗く彫られた2人の人物がひとつの石塊のように抱き合っている。それはロダンの生命感あふれる具象的な彫像とはかけ離れていたが、同じぐらい感情豊かだった。彼の磨き上げられたブロンズのオブジェも官能的だった。その作品は卵のようなかたちで、両性具有的、幾何学的だった。彼は何かを人間の目で見たとおりに表現するよりも、むしろ自らの主題の内的本質を探求することに関心があった。ブランクーシはフランスの詩人、ニコラ・ボアローの「真実ほど美しいものはない(rien n’est beau que la vrai )」という言葉をしばしば引用した。

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ブランクーシの動物を主題にした取り組みは、他に類を見ないものだった。彼は34〜43点程度の鳥の彫刻のほか、アザラシ、ペンギン、魚、カメなどの彫刻を制作した。ここでは動物たちは、細い曲線状の金属でできた形態に変換されている。1926年のアメリカの税関に対する歴史的な裁判のおかげで、ブランクーシの鳥の彫刻は彼のキャリアを一変させた。税関は彼の作品を「実用的な器具」だと説明し、それらの国内持ち込みに際して免税を認めなかった。ブランクーシは「Bird in Space(空間の鳥)」をはじめとするそれらの作品を芸術だと主張し、1928年に勝訴した。1955年のグッゲンハイム美術館での回顧展で「アメリカ人なしには、私はこれらすべてを制作することもできなかったし、今ここに存在すらしていなかっただろう」と述べたように、この事件をきっかけにブランクーシはアメリカで名声を確立した。ブランクーシの美学は唯一無二だった。建築的、理想的、詩的、精神的だった。彼は古代ギリシャ、そしてのちに東洋の哲学の個人的な見解に基づいて、芸術と生活はひとつだと信じていた。彼は自分のスタジオで人をもてなすことが好きで、快楽主義者として悪名高かったものの、孤独な人生を送った。ブランクーシは表向きにはルーマニアの異国情緒を演じ、自らをアウトサイダーと位置付けていた。彼は孤独を好んだが、それでもマルセル・デュシャン、フェルナン・レジェ、アメデオ・モディリアーニ、エリック・サティ、アンリ・ルソーなど20世紀の偉大なイノベーター(革新者)を含む友人たちと交流した。

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彼のパリのアトリエは、究極の芸術作品だった。時とともに、それはモンパルナスの5つのスタジオからなる複合体に発展した。その空間を訪れたマン・レイは、「その白さ、明るさに圧倒された。粗削りのオーク材、あるいは台座の上の磨かれた躍動的な形態の金色の輝きによって各所が強調されていた」と語った。そこには家具はなかった。そのかわりにブランクーシは白い漆喰でテーブルをつくり、枕で覆った丸太を椅子にした。中央に置かれた主役は、常に変わり続ける彫刻の一群だった。彼は自らの環境や作品に合わせて、白い服しか着なかった。当時、芸術があらゆる部分に浸透しているセルフビルドのこの空間のシンプリシティは革新的だった。伝説的なコレクター/ギャラリスト(そして称賛者、恋人、のちにクライアントでもあった)ペギー・グッゲンハイムは、このスタジオを「地球の楽園に最も近い場所」と表現した。彼がなくなったとき、このスタジオを彼の作品も含めて完全に同じかたちで復元するという条件のもとで、すべての作品はパリの国立近代美術館のジョルジュ・ポンピドゥー・センターに寄付された。

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ブランクーシが自らの彫刻作品を展示した方法は、彼の光への強い思い入れを明確に示している。彼のオブジェは、彼自身の手で異常なまでに磨き上げられている。それらは流動的で、絶え間なく変化しつづけるように見える。歴史から着想を得て、未来を見据えた彼の作品には、時間を超越したものがある。飛行に魅了されていた彼は、回転電動モーターを使って、ブロンズの彫刻が光を受けて動いて見えるようにした。また1905年には写真を使って実験を始め、早くも同じ年に自らの彫刻作品を記録し始めた。彼のアーカイブには560点のネガと1250点のプリントが含まれている。コンスタンティン・ブランクーシは、1957年に死去し、20世紀に膨大な文化遺産を残した。日本の芸術家、イサム・ノグチは1927年ブランクーシのスタジオで助手として働いた。ルイーズ・ブルジョアとエルズワース・ケリーは彼のスタジオを訪れた。バーバラ・ヘップワース、ヘンリー・ムーア、カール・アンドレ、ダン・フレイヴィンをはじめとするモダニスト、ミニマリスト、コンセプチュアル・アーティストらは皆、彼の作品に多大な恩恵を被っている。彼はモダニティーのあり方の基礎を築いた。

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 Text: Francesca Gavin

Translated by: Kazuko Sakamoto

Images (Top to Bottom): Atelier Brancusi - Constantin Brancusi © Adagp, Paris | Photo © Centre Pompidou (1) - Constantin Brancusi, Femme Se Regardant Dans Un Miroir, c.1909, Vintage silver gelatin print, 39.8 x 29.8cm, Image © Albion Barn 2020 (2) - Atelier Brancusi - Constantin Brancusi © Adagp, Paris | Photo © Centre Pompidou (3) - Constantin Brancusi, Mlle Pogany, cue de face*, 1914/20, Vintage silver gelatin print, 30 x 22cm, Image © Albion Barn 2020 (4) - Constantin Brancusi, Lily (1933) Sil-ver gelatin print, 24 x 18cm, Image © Albion Barn 2020 (5) - Atelier Brancusi - Constantin Brancusi © Adagp, Paris | Photo © Centre Pompidou (6) - Atelier Brancusi - Constantin Brancusi © Adagp, Paris (7) | Photo © Centre Pompidou (8)

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