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天命を反転させろ:荒川とギンズ

1960年代にニューヨークで活躍した夫婦であり、芸術家デュオでもあったマドリン・ギンズと荒川は不死に対する見解をアヴァンギャルドな手法を用いて建築や芸術を通じ、物事の在り方に対する見解を正に変えたと言えよう。日本やニューヨークを見渡すとギンズと荒川の建築物やインスタレーションを目にすることがあるかも知れない: 身体と精神に挑み、生を引き延ばし、本質的に天命を反転させる事を意図した建造物だ。

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Reversible Destiny Office, Insect Mountain Range, Site of Reversible Destiny, Yoro Park, Gifu, Japan


 

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Reversible Destiny Office, Site of Reversible Destiny, Yoro Park, Gifu, Japan

私たちは死なないことにしてるんだ。
荒川とギンズの遺産を紹介する際、この台詞以上に適したものはない。それは彼らが知的で綿密な作品を自分達の人生を通して追求してきた中で、発したものだ。この格言は2人の死に挑むような精神性と意識の自覚そのものを表している。自らの安らぎを脅かし、自らの身体を知的好奇心ゆえの建築物として扱う事の意味を問うているのだ。
荒川修作は1936年名古屋に生を授かり、武蔵野美術大学に少しばかりの間籍を置いた。荒川は後に日本のアヴァンギャルド集団「ネオ・ダダ」の創設者の1人となり、1960年代の国際的なコンセプチュアル・アート運動の先駆者でもあった。一方ニューヨークではマドリン・ギンズが1941年に生まれ、1962年にバーナード大学卒業後、実験的なフィクションや詩を書き始めた。同年に2人は出会い、次第に公私共にパートナーとなっていく。2人は最初の共同作品である「意味のメカニズム」に取り掛かり、それは荒川とギンズの手法の可能性を大いに広げるシリーズとなり、それは芸術と言語の可能性の限界を探求する事を意味した。 


 

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Elliptical Field; Trajectory Membrane Gate, Kinesthetic Pass, Cleaving Hall, Destiny House, Site of Reversible Destiny, Yoro Park, Gifu, Japan

 

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Exactitude Ridge, Site of Reversible Destiny, Yoro Park, Gifu, Japan



 

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Kinesthetic Pass, Site of Reversible Destiny, Yoro Park, Gifu, Japan


荒川とギンズ、そして彼らのライフスタイルにも似た作品の成果は、最近になりようやく知られる様になったといえよう。つまり、最近になって彼らのインタレーションが鮮やかな色彩に群がる人々や同様の芸術ファンに認識され始めたのだ。もし、あなたが日本を訪れた事があったとしても、旅行ガイドから本気で探し出さない限り、彼らの建造物を目にする事は恐らくないだろう。それは東京の三鷹にあるヘレン・ケラーを記念して造られたロフトにしろ、「今から10億年後のイベントに備え」たい人々をドラム状の入り口へと招く、岡山の奈義町現代美術館にある偏在の場にしろ、最も有名な養老の山中にある天命反転地にしろ同じ事だ。彼らが居住した街、ニューヨークに関しても同様である。天命反転財団が荒川らのアーカイブを保持しており、ドーバーストリートマーケットにはトンネルが設置されていて、買い物客にとっては複数階を行き来する際の憩いの場となっている。また、一般客からの依頼により製作された、イースト・ハンプトンに位置する「バイオスクリーブ・ハウス」に住むオーナーは自身を建造物の一部として生活を送ることが出来る。
荒川とギンズは自身の多くを作品をパフォーマティブな視点でとらえていた。私は彼らが自身の作品をガラスケースの中で鑑賞されたり、狭いギャラリーの倉庫に所蔵されることを望んでいたとは思えない。本当の意味で生に抗うことに夢中だった彼らの作品は幅広い視点や説明により定義付けられている;即、荒川達の特殊な建造物の虜となった人々は(あるいは単純に全く感化されていなかったのかもしれないが)荒川達による趣のある空間を一定の規則や指標に沿って説明された。
 

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Exactitude Ridge, Site of Reversible Destiny, Yoro Park, Gifu,
















 

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Exactitude Ridge, Site of Reversible Destiny, Yoro Park, Gifu, Japan

意味は主観的ではあるが、人が何とふれあうべきであるかの意味を定義付けすべく荒川とギンズは人を刺激する ーつまりそれはインスピレーションの今までとは違う方法なのだがー そしてそれが彼らの作品の美しさなのだ。意味は相互作用するようになり、人々自身の探検や、規則による挑発や、ある場所に設けられた制限により定義付けされる。そして多くの場合は、私達自身の体や脳に今までとは異なる反応をするように要求するのだ。そしてこれらの刺激を用いて、荒川達の目標は世界と人々との対話性を再構築する事にあった。脳の配線をやり直している、とでも例えようかー 元来、我々は空は青く、草は緑であると教わる。 逆に教わる様なことは、ほぼあり得ないわけだが、荒川やギンズの様な芸術家には我々に空は緑で、草は青いと信じ込ませることが出来るという役割がある。真に芸術的なマインドで、我々は今までとは異なる意味を創り上げることを奨励され、科学的や実際の根拠を捨て去り、自分自身の夢や願望を選ぶのだ。 

自らの天命を反転させるにあたり、我々は自身が世界と物理的相互作用をする際の方法における優先順位を付け直しているのだ。我々が居住している空間における我々のコンセプチュアルな理解(数学的理解)は永遠に調節され、我々に物事を決して当たり前に捉えないように、そして日々の平凡な生活に新たな意味付けをするように強いる。 

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Critical Resemblance House, Site of Reversible Destiny, Yoro Park, Gifu, Japan

荒川とギンズの残されている見物可能な建造物を全て訪れた者として言わせてもらえば、彼らの作品は我々の空間の解釈法、そして現実の解釈法までをも真に混乱させてくれるのだ。壁と交差している湯船はこんな疑問を我々に投げかけてくる-果たしてこれは湯船と呼べるのだろうか?両断された状態で機能するといえるのだろうか?そして我々が当たり前に「湯船」と思っていたそれなのだろうか?物質的な矛盾が荒川達の空間に持ち込まれるのだ。これらの天命反転建築物の触れ合う時は、何一つとして当たり前に捉えられることは無い。我々は「壁は壁」であり、「床は床」だとみなしつつ、目はスマートフォンに釘付けで大手を振って歩くことは出来ない。しかしながら、荒川とギンズはこのコンセプトをドゥームスクローリングゾンビ達が生まれるはるか前に確立していた。荒川とギンズの空間では身体と脳は平等に影響を受け、習慣的な期待から離脱することを強いられる。期待とは人の想像力による虚像であり、心地良さとは、その場で受け取るありふれたレシートのようなものではなく、数ヶ月とまでは言わないまでも、数時間、数日間の懸命な努力により勝ち得るものである。

荒木達の空間での色の使い方は常に注目の的となっており、もちろん、アイコニックなサッカリン色やパステルイエローの天命反転事務所が養老の山脈から突き出ているのはご存知の通りだ。また、9戸からなる三鷹天命反転住宅はその建物自体が球体、立方体そしてチューブによりレンダリングされた技術的快挙である。荒木達の色の使用法はポジティブな雰囲気をもたらし、壁が真っ白であることを決して当たり前としない事で、観光客や居住者達にいつまでも住み続ける様に促すのだ。これが「天命反転」の全てなのである。耳を快く傾ける者全てに、荒川とギンズの天命反転の精神は、我々に建築物との関係を再評価することを促す。そして、我々の生活を少しだけはつらつとさせてくれるのだ。  

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Reversible Destiny Office, Site of Reversible Destiny, Yoro Park, Gifu, Japan

 

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Kinesthetic Pass, Site of Reversible Destiny, Yoro Park, Gifu, Japan


 

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Kinesthetic Pass, Site of Reversible Destiny, Yoro Park, Gifu, Japan

天命反転地は人々の日常的な機能に変化をもたらすことはないし、生物学的な矛盾をきたすこともない。我々は普通に食し、排泄するし、知覚し、互いに作用し合う。我々は立ち、歩かなければならないが、荒川達の創った空間は我々を普通には立たせたり、歩かせてはくれない。我々はいつもなら単調な動作に細心の注意を払うことになる。荒川達の建築物が我々をそうさせるからだ。床を歩くとしたらその床は、こぶやくぼみや不整形地盤に満ちているだろう。その床はその人が歩いた史上最もの記憶に残るものとなり、その者の空間の捉え方を永遠に変えることとなる。もし、人がトイレを使うのであればその者は自身の親友と近接していることに安心し、居心地良く思っていることだろう。何故ならばそのトイレはもう1つのトイレと背中合わせになっているからだ天命反転のコンセプトはその最も極端な形で死を廃絶する。「天命反転」の意図とは死を引き延ばすことでも、遅らせることでも、それと共に歳を重ねることでもなく、死そのものを認めずに、それを超えることであるのだ。荒川とギンズにとって死とは彼等の生命力に対する侮辱にあたる。それ故、彼等が2人とも死去したにも関わらず、(荒川は2010年に73歳で亡くなり、4年後にギンズは72歳で他界した。) 彼等は真に、そして永遠に知的に死の概念に抗うのだ。「永遠とは化石じみた愚かな夢あるいは解釈です。不死とは無論まったく別物です。」そして荒川とギンズは今も尚、その理由を我々に示し続けている。

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Site of Reversible Destiny by ARAKAWA + GINS, Yoro Park, Gifu, Japan

Text: Leta Sobierajski

Translated by: Sho Mitsui

Images: Joe Keating

Location: Site of Reversible Destiny - Yoro, Gifu, Japan