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理由ある反抗:ランドアートの物語

ランドアートのムーブメントは、1960年代半ばの社会の混乱のなかで伝統的な彫刻や絵画の限界に不満を募らせたニューヨークのアーティストたちが究極のワークスペースを探しに行った時に形成された。スタジオと引き換えにアメリカ南西部の未踏の砂漠を手に入れたマイケル・ハイザー、ウォルター・デ・マリア、ナンシー・ホルト、ロバート・スミッソンなどのアーティストたちは、作品の題材、そしてキャンバスとして荒涼とした環境を利用し、広大な荒々しいランドスケープのなかで可能性の地平を広げるアート作品(またはアースワーク)を制作した。

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それより前の20年間で起こった歴史に残る様々な出来事により、アーティストは新しい地平線の探求へと駆り立てられ、時代精神が徐々に形成されていった。それは技術革新の時代の真っ只中だった。1946年に初めて地球の画像が捉えられ、旅行の「黄金時代」には上空から眼下に広がる世界を俯瞰できるようになった。そして冷戦(1947-1991)の地政学的緊張、ベトナム戦争(1955-1975)の恐怖、1960年代の核戦争の脅威は、制度や権威に対抗するカウンターカルチャー運動を生み出した。1966年に当時サザビーズの社長だったピーター・ウィルソンは、BBCの番組「Money Programme」に出演し、アートは過去30年で株式投資がもたらした利益よりもさらに多くの利益をもたらしていると発表した。それは投資としてのアートを捉えるという考え方を確固たるものにしたが、一部のアーティストはアート界の急激な商業化に幻滅した。このような風潮のなかでランドアートのムーブメントは基盤を確立し、アーティストはホワイトキューブだけでなく都市の限界も超えて思考を広げていった。ランドアートは1969年の「Earth Art Exhibition」や「When Attitudes Become Form」などの画期的な展覧会を通じて、従来の市場モデルに対抗することによってアート界の主流に近づいていたが、基本的にアースワークは金銭的価値を持たなかった。意図的かどうかはともかく、ランドアートはギャラリーに対する抗議だった。「このようなものに伴う価値はない。持ち運べないし、順応性の高い物々交換の品でもないからだ」と、このムーブメントの先駆的アーティストのひとりであるマイケル・ハイザーは言った。「交換することもできないし、ポケットにも入れられない。戦争になっても動かせないし、何の価値もない。さらに言うなら、それは責務なのだ。」

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ハイザーは1967年にネバダ砂漠に行き、表面を埋めつくすのではなく、空隙をつくることを特徴とする一連の作品「negative sculptures(ネガティブ・スカルプチャーズ)」を制作し始めた。ベトナム戦争に衝撃を受けたハイザーは「まるで世界が終わりを迎えようとしているようでした…だから砂漠に行って土でものをつくり始めたのです」と言った。彼の最も偉大な作品である「Double Negative」はネバダ州オーバートンのモアパ・バレーで1969年に完成された。両側に2本の溝を掘るために、20万トン以上の岩が渓谷の崖から切り出された。1986年にロサンジェルス現代美術館は、ギャラリストのヴァージニア・ドゥワン(彼女はハイザーのためにこの土地を購入し、不動産権利書を所有していた)からこの作品を入手した。ロサンゼルス・タイムズ紙の記事によると、ハイザーはこの作品が環境やその条件によって徐々に土に帰ることを希望すると表明し、「Double Negative」を保存する取り組みを拒否した。

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翌年、ウォルター・デ・マリアがカリフォルニア州のモハーヴェ砂漠で1マイルの長さ、12フィート間隔の平行線をチョークで描いた「Mile Line Drawing」(1968)を制作したが、彼のレガシーを決定づけたのは「Lightening Field」だった。1977年に制作されたこの驚くべき作品は、ニューメキシコ州カトロン郡の1キロメートル ×1マイルの土地に立ち並ぶ400本の垂直なステンレスの柱で構成されている。これらの柱はこの地域で頻繁に起こる雷雨の際に避雷針として機能する。そのタイトルとは裏腹に、「Lightening Field」は稲妻を伴う雷雨の際に作動するだけでなく、作品を見て歩いたり長い時間を過ごしたりする空間自体が、その経験の鍵を握る。「Lightening Field」の写真が表紙を飾った1980年のアートフォーラム誌で、デ・マリアは「その土地は作品の背景ではなく、作品の一部なのだ」と述べている。

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ナンシー・ホルトの「Sun Tunnels」(1973-76)は十字形に配置され、上半分に様々な大きさの穴が開けられた4本の26メートルの長さのコンクリート製の円柱で構成されている。それぞれの穴は、空の星座および冬至と夏至の間の日の入りに合わせて開けられている。そしてホルトは、これらのトンネルを広大な砂漠のなかで鑑賞者を導く「方向付けの装置」と説明している。「Sun Tunnels」の驚くべき点は、その巨大さだけでなく、見る人に熟考と忍耐を促すことだ。ホルトは「この作品はある一定の時間内でしか見ることができないーー単に見て、理解し、立ち去ることができるようなものではない」と語った。1970年、アメリカの彫刻家のロバート・スミッソンはユタ州ローゼル・ポイント付近でグレートソルト湖に6,650トンの岩石、塩の結晶、玄武岩、泥、土を投棄し、それらを使って北東側の岸から水中に伸びる幅15フィート、長さ1,500フィートの壮大な渦巻きを形成した。「Spiral Jetty」と名付けられたこの作品は、人類と母なる自然との壮大で儚いコラボレーションだったーースミッソンは自分が自然をコントロールできないことを知っていた。かつて彼は「自然は一直線に進むのではなく、むしろ広がりのある展開を見せる」と述べた。完成後まもなく、「Spiral Jetty」は湖に沈み、塩の満ち引きによって周期的に現れたり消えたりした。

このような儚さが、ランドアートの核心だった。初期のアースワークは見つけるのが難しいか、あるいは見つけることはほぼ不可能だったものが多かった。危険な旅をしなければならない場合もあった。1日、1月、あるいは1年の決まった時間帯にしか潜在する力を最大限発揮しないものもあった。多くのものはすでに壊されてしまった。ギャラリーや美術館で経験される作品とは異なり、ランドアートは所有権を否定する。クリエイターや作品を手に入れた美術館でさえも、自然界に翻弄されている。意図的かどうかにかかわらず、このような様々な支障のために、鑑賞者はまるで参拝に訪れるかのような厳しい巡礼の旅にでなくてはならなかった。これらの巨大なアースワークを眺めるだけでは十分とは言えず、鑑賞者はアースワークとの関係を築き、経験し、熟考し、参加しなければならなかった。最終的に、ランドアートのムーブメントは、自分の権利を主張しようとする人類の企てにもかかわらず、地球は常に自由気ままに振る舞うということを明らかにしたのだった。

Text: Ashleigh Kane
Translated by: Kazuko Sakamoto


Images (Top to Bottom): Robert Smithson, Spiral Jetty (1970) Great Salt Lake, Utah | Photograph Nancy Holt © Holt Smithson Foundation and Dia Art Foundation (1) - Double Negative by Michael Heizer (1969-70) | Photograph Gianfranco Gorgoni | Courtesy Getty Research Institute (2) - Michael Heizer, Circular Surface, Planar Displacement Drawing (1969) | Photograph Gianfranco Gorgoni | Courtesy Getty Research Institute (3) - Walter De Maria, The Lightning Field, 1977 | Photograph © Estate of Walter De Maria | Photograph John Cliett (4) - Walter De Maria, The Lightning Field, 1977 | Photograph © Estate of Walter De Maria | Photograph John Cliett (5)

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