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絞り染め: 永遠なる絞りの美学

衣類の創作においてシルエットやカット、型など以上に最も重要であるのが生地だ。生地は衣服の基礎であり、出発点であり、その衣服の定義そのものでもあるのだ。何より生地とは文脈であり、日本の伝統工芸ムーブメントのど真中であった防染技術である「絞り染め加工」を施されたもの程、物語を高らか、かつ深く我々に語りかける生地は他に無い。

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元を辿ると「絞る」という動詞は布から水分を取る為に捻ったり、押し付けたり、握りつぶしたりすることを指す。絞りは上記の過程により生まれた生地である。その生地に宿ったデザインは創造過程の動作により生じた、いわば記録に他ならない。 絞りは極めて細かい手順を全て手作業で行うわけだが、生地の個性を出す決め手は「防染」にある。ありとあらゆるパターンの多様性を繰り出す為に、生地の数カ所は染める前にきつく縛り、元の生地の色を保つ為、隠さなくてはならない。絹から綿、麻に至るまで絞りは生地を捻り、扇ぎ、圧力をかけ、括り、束ねたり、層にしたりする必要がある。その後仕上げに縫い目、結び目や留め具でしっかりと留めるのだ。染料には大抵発酵させた「すくもの葉」を使う。生地が染色されると、結果は天に任せるより他ない。過程のある時点までは作り手が舵を取るわけだが、自由気ままに振る舞う染料と上手に付き合い、時には逆らう必要すらある。
絞りの種類は無限大で、その地域や作り手、独自の手法でテキスタイルを代々受け継いで来た家系等、多岐に渡る。それを踏まえた上で、大抵の染色法が以下の6種のいずれかに当てはまる。「嵐絞り」は棒に生地をきつく縛りつける手法だ。「板締め絞り」は生地を畳み、と木型や万力等を使用した、きつい締め付けを要する手法。 型にはまらない「鹿の子絞り」は布をつまみ、ゴムで縛る手法である一方、「縫い絞り」はきつい縫い目により似たような模様を生み出す。「くも絞り」という手法では生地に折り目をつけ、捻り、多くの場合石にそれを巻きつける。最後が「三浦絞り」だ。生地を部分的にひっかけ、括り、生地を下から指で持ち上げ糸で巻く、という比較的習得するのが簡単な技法の一つだ。結果は全くもって異なる。繰り返される目の詰まった模様、不規則な幾何学的な形状、降り注ぐ雨を模倣したぎっしりと敷き詰められた線、円の中に渦巻く円模様。これらの模様は類稀な技術と全くの偶然による結晶で、全く同じ工程を踏んだとしても、ひとつとして同じ結果が生まれる事はない。それが絞りの魅力だ。

 

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Utagawa HIROSHIGE (1797-1858) Narumi: Famous Arimatsu Tie-dyed Fabric c. 1833-1835

 

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その起源は7、8世紀にまで遡るという。人を魅了して止まない、古代の布の代表例でもある防染の纐纈(こうけつ/こうけち)の一種は、朝廷のラブストーリーと切っても切り離せない。

西暦756年に聖武天皇の死去を受け、光明皇后は彼が生前重宝していた何百もの私物を集め、死後の世界が幸福になるよう、奈良の仏教寺院として最も重要な寺の一つである東大寺の大仏に捧げたのだった。直筆の原稿、楽器などといった私物の中に、皇后は素晴らしい纐纈の染物も含めた。正倉院に収納されている巨大な木製の墓は地面との間に隙間がある為、通気が良い。そして建物の計算尽くされた湿度、温度管理が収納物を1200年以上に渡り、完璧な状態で保存することに貢献した。


正倉院の宝の中にこれらのテキスタイルが含まれていたことは、皇族の中で初期の絞りが突出した地位を確立していたことを意味し、皇室の日常生活の中に防染の生地が存在する事は、皇族の地位と多くの支持を得ていた証でもあった。その後、時が流れると共に防染の生地が原料の宮中服が増え、複数の染色布を含む、複雑な層が重ねられた衣装が増えた。しかし、絞りが裕福層の中のみで留まることはなかった。絞りはすぐに地位の垣根を越え、裕福層が絹や上質な面を愛用した一方で、一般層は麻を代用した。絞りが進化するにつれ、縫い絞りの技術が台頭した。生地を糸で縫うことにより、仕上がりを作り手がよりコントロールし易くなったのだ。パターンやモチーフがより意図的に生み出せる様になり、きめ細かい型はきつく縫い合わされている模様が染料の浸透を防いでくれる。
 

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資源が希少であったため、修繕や再利用は早くから日本では当たり前となっていた。手織の生地は長持ちさせる事を前提に作られているので、結果として独創的な保存方法の数々が生まれた。刺し子は薄くなった生地を補強し、古布を継ぎ接ぎにしたボロ加工は生地を新たに生まれ変わらせる。絞りもは同様の効果を生地にもたらす。くたびれて色褪せた布にフレッシュな表情をもたらすのだ。街から田舎に至るまで、防染技法は簡素で利便性に優れた生地を温かみと個性で染め上げ、複雑で特徴的な衣服に変身させた。模様には時代の流行と共に作者や着用者の個人的な好みやスタイルが反映された。 必要性と尽きることのない創造力により一般人は絞りを意外な場所にまで押し上げた。
絞りは日本の手工芸の正に代表となったが、防染技法を採用し進めるに連れ、世界中で似たような手法が用いられるようになっていた。中国で古くから行われていた絞り染め手法「ピンイン」は日本の染色法の青写真とも言われており、その歴史は南北朝時代の西暦420年まで遡る。インドでは「バンダニ染色法」が紀元前4000年ころのインダス文明に採用されていた形跡があり、現在でもグジャラート州やラジャスターン州では美しい染物が手作業で生産されている。中でも高品質な絹の生地は婚礼衣装の素材として重宝されている。藍染のテキスタイルは西アフリカの工芸品の代表的なものとなった。カノやナイジェリアのコファー・マタのインディゴ染料ピットは1400年代にすでに存在していた。「アディレ防染」された生地は非常に複雑なデザインで知られており、ヨルバ族のコミュニティ内で研ぎ澄まされた技術だ。現在でも依然として生産されているマリの手織り藍染めされた生地は、まるでストーリーを語りかけて来る様な模様が防染技法により表現されており、現代の染色法の代表例だろう。明らかに縛った布を染めるという行為は万国共通であり、世界中どの文化においても直感的に行われていたのだ。
 

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Utagawa KUNISADA (1786-1864) Narumi: Woman Doing Arimatsu Shibori Tie-dying c.1845-1846

 

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Utagawa HIROSHIGE (1797-1858) Narumi: Famous Arimatsu Tie-dyed Fabric c. 1833-1835

 

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絞りは日本の手工芸の正に代表となったが、防染技法を採用し進めるに連れ、世界中で似たような手法が用いられるようになっていた。中国で古くから行われていた絞り染め手法「ピンイン」は日本の染色法の青写真とも言われており、その歴史は南北朝時代の西暦420年まで遡る。インドでは「バンダニ染色法」が紀元前4000年ころのインダス文明に採用されていた形跡があり、現在でもグジャラート州やラジャスターン州では美しい染物が手作業で生産されている。中でも高品質な絹の生地は婚礼衣装の素材として重宝されている。藍染のテキスタイルは西アフリカの工芸品の代表的なものとなった。カノやナイジェリアのコファー・マタのインディゴ染料ピットは1400年代にすでに存在していた。「アディレ防染」された生地は非常に複雑なデザインで知られており、ヨルバ族のコミュニティ内で研ぎ澄まされた技術だ。現在でも依然として生産されているマリの手織り藍染めされた生地は、まるでストーリーを語りかけて来る様な模様が防染技法により表現されており、現代の染色法の代表例だろう。明らかに縛った布を染めるという行為は万国共通であり、世界中どの文化においても直感的に行われていたのだ。


 

Text: Lena Dystant

Translated by: Sho Mitsui

Images: © Shibori details in AMBUSH® Spring/Summer 21 collection

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