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進化するアフロビーツのサウンド

「僕らが今聞く、アフロポップ、アフロ・ヒップホップ、アフロなんとかっていうのは…アフロフュージョンもそうだけど」2020年の8月、Burna BoyがNMEに言った。「彼らは『アフロビーツ』っていう言葉で、全部ひとくくりにしたんだ」 アフロビートの先駆者、つまり70年代はじめのFela KutiやTony Allenが切り拓いたジャズ、ファンク、ハイライフの斬新な混じり合いとは違って、アフロビーツの傘下に入るものはミレニアムを転換期としてガーナやナイジェリアから生まれた、ご機嫌なエレクトロ・ポップニュージックに遡ることができる。英語やヨルバ語のようなピジン語で歌われ、大西洋の黒人文化から影響されたヒップライフ(hiplife)やダンスホール(dancehall)とジュジュ(jùjú)、ソカ(soca)、ヒップホップをそもそも融合させたものだ。他に類を見ないほどクリエイティブで、活気があって、共同作業で作られ、ものすごい速度で進化するスタイル、そのままでいつ続けることができないインダストリーだ。
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アーティストのなかには、自力でなんとかしようとするヤツもいた。 Mr Eaziは自分のサウンドをバンクミュージック(Banku Music)と呼び、Burna BoyはDavidoやWizkidのようにアフロフュージョンに落ち着き、アフロポップはよく同じような意味で使われていた。その一方で、個々のアーティストや彼らのルーツのある国や文化の多様性をよりよく表すニュアンスを込めたジャンルやスタイルを支持して「アフロビーツ」と呼ぶのをやめるように求める人々もいた。 直近の歴史は一筋縄ではいかないけれど、90年代後半と2000年初頭のサウンドと今日のグローバルな現象をつなぐ一本の流れもある。
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2000年代初頭のMTV Base Africaの到来が後押しして、大陸にスターが現れはじめた。M.I Abaga、Naeto C、Sarkodieは2000年代終わりの2Babaaa、P-Square、Flavour N’abaniaに続く。2011年までにはWizkidの「Holla At Your Boy」とD’Bani’s 「Oliver Twist」がはじめてグローバルなオーディエンスを獲得する。イギリスではアフロビーツのみを扱ったラジオ番組がきっかけになった。とりわけ新しい世代のリスナーのための表現を生み出したことで広く評価されているChoice FMのDJ Abranteeが有名だ。ロンドンのラッパーBig Zuuとのコラボレーションから戻ってきたばかりのシエラレオネのラッパーDrizilikが言う。「アフロビーツはアフリカ中の様々に異なる文化の人々をつなぐ。イギリスではアフリカ人を自らのルーツにつなぐ」 やりとりは一方向ではない。2015年にはWizkidの「Ojuelegba」がSkeptaとDrakeによってリミックスされ「One Dance」の基礎をつくった。それはWizkidと南アフリカのプロデューサーDJ Maphorisaをフィーチャーし、2016年、最もストリームされた曲になったDrakeのアルバム「Views」からの有名なトラックである。Fuse ODGなどのアーティストはイギリスで音楽を大衆化し、J Husはアフロビーツとダンスホールとトラップ(trap)、ヒップホップ、R&Bとグリム(grim)の強力に混ぜ合わされたものを統合したアフロスウィング(Afroswing)を生み出すきっかけをつくる。
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2019年には、このジャンルの大スターたち、Wizkid、Burna Boy、Yemi Alade、 Tiwa Savage、Tekno、Mr EaziがBeyoncéの「The Lion King: The Gift」のサウンドトラックに起用され、DavidoはメジャーなUSレーベルに契約した。Burna Boyはその年、高い評価を得た「African Giant」のLPを出した。それは新しいアルバム、「Twice as Tall」のきっかけになり、システム化された抑圧とコロニアリズムを剃刀のように鋭い正確さで狙ったものだ。そうして彼はアフロフュージョンをFela以降の革命的なパン・アフリカのプロテスト・ミュージックとつなげた。彼は2019年にHypebeastにこんなことを言っている。「みな子供の頃、いつか自分もそうなりたいと願ったコミックのヒーローがいただろう。僕にとってそれはFelaなんだ」Burna Boyの祖父は、偶然Fela Kutiの最初のマネージャーだった。
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多くのアーティストがしのぎを削るようになり、シーンは大陸中で花開いて行った。シエラレオネの音楽インダストリーが比較的小さい一方で、Drizilikはブブ(bubu)、ミロジャズ(milo jazz)やガンべ(gumbe)などの伝統的なスタイルをサウンドのなかに注入しようとしつつ、強く影響を受けたアーティストとしてKanye Westを挙げている。「シエラレオネのアフロビーツのシーンは熱い」と彼は叫ぶ。「シエラレオネのクリエイティブたちは歌詞とビートをつかって自分たちのストーリーを伝えて、独自のサウンドを作るインスピレーションにした」。 このスピリットこそが、ガーナのアゾント(Azonto)やナイジェリアのショキ(Shoki)のようなダンスがダンスホール(dancehall)やジャマイカのバッシュメント・リディム(bashment riddims)になったり、イギリスのグリム(grim)がヨルバ語やピジン語で歌われる詩と結びついたり、ハイライフ(highlife)やヒップライフ(hiplife)やジュジュ(juju)のおめでたいサウンドがR&Bとヒップホップに融合して、何かまったく新しいものを生み出すのだ。Drizilikが言う。「グルーヴには終わりがなくて、もっともっと欲しくなる」音楽は進化すればするほど、可能性にも終わりはない。 Text: Anton Spice Collage: Diogo Lopes
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