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BŌSŌZOKU: 日本の反骨

バイカーサブカルチャー

暴走族を英訳するとなると"runaway tribe"もしくは"wild tribe"とでも言えようか。その起源は1970年代に遡る。日本で若い無法者バイカー達のサブカルチャーとして台頭し始め、極端に奇抜であると同時に想像力豊かな改造バイクが大流行。それはあまりに華麗で、もはや芸術同然だった。写真家のフェデリコ・ラダエッリの撮る写真は自身が暴走族同様にバイクに情熱があり、彼らと友情を育んだが故に撮影出来たものばかりだ。それら写真は彼らの改造バイクのみに留まらず、貴重な洋服やカスタマイズされたジャケット等にまで及ぶ。そして、それら全ての要素が暴走族独自のルールと「パンクスの反骨精神」を生み出すのだ。

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写真家フェデリコ・ラダエッリによる日本全国の暴走族を被写体とした写真は単に自身のモーターバイクや車のカスタマイズへの情熱が高じて撮影されたものではなく、バイクカルチャーを愛する者同士で育んだ友情や関係性を通じ、彼らと共にバイクを乗り回し、地元の居酒屋で共に酒を飲み交わす等して、得られた成果だ。ラダエリはいかにして、現行のライダー達を撮影するに至ったか、そしてサブカルチャーの現在について詳しく話してくれた。「イタリアに住んでいた当時、かなり幼い頃からバイクと車に興味を持ち始めました。子供の頃に父が1970年代のカワサキ・Z900を所有しており、僕の“原付”は全て日本から直輸入されたものばかりでした。ミラノでは日本の"原付“がとても流行っていたのです。バイクのチューニングについて初めて知ったのは2000年代前半でした。当時は日本でのチューニング文化がいかに栄えていて、素晴らしいものか理解していませんでした。僕はインスタグラム上で彼らと連絡を取り合いました。彼らは僕の投稿を見て、僕がバイクとそのシーン全般について魅了されている事が分かったのでしょう。それにより僕たちは親しくなり、バイクについて語り合うことで、バイクが僕たちの共通言語となったのです。」

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日本の暴走族の始まりは第二次世界大戦の退役軍人の歴史と重なる。ラダエッリ曰く、「暴走族の起源は1950年代に生まれたカミナリ族にあります。カミナリ族のメンバーは上流階級の子供達でバイクを購入する余裕があり、アドレナリンを分泌させる為に車のカスタマイズやギャングまがいの活動に走りました。彼らはアメリカ自動車整備工や輸入ものの西洋映画から多くの影響を受けたのです。」ラダエッリは付け加える、「走り屋と同様、スピードを出す事に執着していたのです。カミナリ族という名前は彼らのマフラーを外したバイクがまるで雷の様な音を立てる事と、彼らが道を稲妻の様にジグザグに走る事に由来しています。」暴走族の集会をドキュメントして行く中でラダエリは何人ものライダーと親交を深めた。その中にはマサヤンとサトシというサブカルチャーの歴史に名を刻む現行の暴走族ライダーもいた。「どのライダーたちもオートバイのカスタムに情熱を捧げます。暴走族の中には他のグループと抗争する者もいたでしょう。そうして勢力や権力を拡大して行く者などもいます。」

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バイカー達をドキュメントしていく事で、ラダエッリは集会が開かれる、東京の隣の千葉にたどり着いた。当然、自身のカメラ機材と共に。「彼らは歓迎してくれました。少し保守的ではありましたが、僕が遠くから彼らに会いに、そして暴走族を直接目の当たりにする為だけに来た、という事実に好感を持ってくれました。僕は大のカメラオタクなので、メインのカメラは小さいコンタックスT3ですが、このプロジェクトではフィルム撮影をすることにし、コンタックスG2、マミヤ7そしてコンタックスT3を使用しました。それ程、大差無いのです。夜になると撮影は時として、少し制限が加わります。しかし、僕の撮影法は至ってシンプルで、光があればアンビエントモードを使い、そうでなければ、写真に明かりを加える為にストロボを使用します。」完全にカスタマイズ自在なバイクの彫刻作品にも似た芸術性や個性溢れる表現に全てを捧げることについて、ラダエッリは語る;「暴走族のバイクは完全に自主制作で、個人的に改造されています。オーナーのアイデンティティーが反映された終わりのない変化で、全ての細部にまでこだわりが詰まっています。驚いたのはバイクが動く彫刻作品の様なものになるという点です。パーツのほとんどは手製です。アフターマーケットや職人によって供給されたパーツをはめる場合もあります。」マサヤンとサトシが詳細を語る;「部品の調達はもちろんインターネットなどない時代なので、店で買う。バイク部品店にカスタムパーツが売っていた。あとはバイク雑誌の通信販売。」「私が見た暴走族の印象的なマシンは「ブチアゲ」と呼ばれるカウルを2段にも3段にも高く取り付け、シートも背もたれが長いスタイルです。まるで祭りの祭壇のようです。」

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暴走族ライダーのマサヤンとサトシは彼らが暴走族を始めたきっかけを説明してくれた。「暴走族のメンバーになるのは大体の者は生まれ育った地元のグループに14~16歳くらいからメンバーになります。18歳くらいでオートバイから車に乗り換えて引退して行くのが定番だと思います。グループの数は日本全体的では数えられない数があったことでしょう。」ラダエリが付け加えて「以前は入隊の儀式などがありました。軍隊の入隊や仲間意識に似ています。これは50年代の暴走族の起源そのものに遡ります。東京の様な大都市の場合は異なる地域や界隈によって多くの族がいました。最近では福岡や沖縄で暴走族リバイバルが起きています。 僕はそれが悪い事だとは全く思いません。暴走族に入隊する事とは若者の自己表現の方法であり、SNSに支配されたグローバルなアイデンティティーに溶け込まない方法でもあります。彼らはパンクスの反骨精神を有しており、60年代や70年代のロッカー達を連想させます。」と語った。
彼らのバイク同様、暴走族の制服は多様で独特だった。1970年代の最も一般的な暴走族の制服は特攻服だった。マサヤンとサトシが説明するには「特攻服と呼ばれるファッションは走る時や抗争の時の彼らの正装のようなものです。」書いてその名の通り、特攻服とは特別な攻撃のための服で、最初は保守的な政治団体から取り込まれたスタイルで、その後、グループの名前を刺繍で冠したカスタムジャケットへと変化したのだ。刺繍の費用は¥200,000〜¥300,000にも上ると言う者もいる。ラダエッリは説明する「刺繍が多ければ多い程、特攻服も高級になります。特攻服は神風特攻隊が来ていた制服とは関係がありません。名前同じなのは、その服を着用する者がどんなに敵が強くても、勇敢にそして無鉄砲に戦いに挑むからです。 現在、制服はさほど重要ではありません。よりカジュアル化しましたが、代々伝わるコンバットブーツと、ユニークなスタイル、そしてカスタマイズされたヘルメットは健在です。」

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暴走族のサブカルチャーの悪名を轟かせたのは彼らの法律を無視した行動とグループ間の抗争だった。彼らの姿は見えなくても派手に改造されたバイクの音は遠くからでも、はっきりと聴こえた。しかし、今日のライダーはどちらかというと、改造バイクの創造性の豊かさと仲間意識に敬意を表している。マサヤンとサトシは「現在の日本は暴走族と呼ばれる者たちはほぼ絶滅しています。代わりに『旧車会(キュウシャカイ)』と呼ばれる暴走族OBなどのグループがあります。今の若いライダーの暴走族スタイルは当時への憧れであり流行りのスタイルでしかありません。」と語り、ラダエッリは「80年代、90年代の反骨精神剥き出しの暴走族は時代遅れです。都市によっては若者がエンジンをふかし、警察から逃げ回り楽しんでいる地域もあります。現在、福岡と沖縄では一際活発です。彼らは一堂に会すると、非常にリラックスしていて、懐かしい場面を思い出しながら、古き良き日々について語り合うのです。暴力的な抗争は消え去り、ブラックエンペラーとスペクターのメンバーが平和につるんでいる姿も見られます。」と話す。暴走族サブカルチャーが違う意味で続いている一方で、元々の美学と生き様の影響力は否定のしようがない。過去が未来に影響を与え、日本の新たなイージーライダー達の情熱を灯すのだ。

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Text: Joanna Kawecki 

Images: Federico Radaelli

Translated by: Sho Mitsui

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