「この庭園を見ても、いつ作庭されたのかが分かりません。作風が永遠にモダンだからです。それが重盛のコンセプトでした」光明院の住職、藤田さんは私達に境内の案内をしつつ、微笑みながら語った。話題の的になっている「時代感の無い」庭園の正体は波心庭だ。1939年に作られたこの京都の庭園は秋の紅葉、浮き出る苔の線、そして躍動感溢れる石の配置が特徴的だ。この庭園は唯一無二の手作業により厳選された石が75個用いられており、計算し尽くされた配置と設計がなされているにも関わらず、どういう訳か作者の自由かつ奔放な精神を見事に表現している。その作者こそが、偉大なる重森三玲(1896-1975)である。
重森はあるいは戦後もっとも有名な作庭家の1人だった。30年以上の間に全国の神社や仏教寺院を中心に200以上もの庭園を作った伝統的な庭園の数々を手掛け、名を馳せた重森だったが、彼は典型的な日本作庭家ではなかった。重森の使命は日本古来の庭園デザインの厳格なルールに囚われず、創造性の新たなスタイルを表現する事にあった。彼は本格的に修行をしたわけでも、作庭家養成学校に通ったわけでもなかった。重森による全てのデザインは、純粋に彼の内に潜む芸術的才能と人生経験に由来するのだ。
日本庭園といえば、必要最低限のシンプルなデザインとありふれた設計の禅宗庭園が目に浮かぶであろう。「平穏」、「静穏」、「受動的な」等のキーワードが頭に浮かぶ。しかしながら、重森が作る庭園の美とは、そのデザインの力強さと根本的な本質にある。むしろ「荒々しさ」や「派手さ」等の印象を受けるのだ。