新しいアイデアとは一体どこからやってくるのか?韓国人芸術家、ナム・ジュン・パイクの50年に渡るキャリアは、常に革新的であり続けた。様々な形でメディアの境界線を超え、パフォーマンス、テクノロジー、ビデオ、音楽、彫刻を融合させ、常に既存の「ものの見方」に革新を巻き起こしてきた。パイクは、映像とテクノロジーが人類の存在の本質に埋め込まれる未来を予測していたのである。

Nam June Paik, Chinese Memory, 2005 - Single-channel video (color, silent) in vintage television
cabinet with permanent oil marker, acrylic, record cover, scroll, antennae, and books
81 x 55 x 44 inches © Nam June Paik Estate
彼が「接触から新しいものは生まれる」と指摘したように、パイクの多くのプロジェクトの中心にはコラボレーションがあった。

パイクの作品は禅の静けさから、ノイズに満ちた革命、西洋のアバンギャルドなアイデアや方法論から、東洋の哲学や美学まで全てを取り込んだ。そんな彼のアイデアは、死後15年経過した今、芸術やハイカルチャーの世界だけでなく、社会全体に浸透している。

Nam June Paik, Self-Portrait, 2005 - Cathode-ray tube television casing with 10-inch liquid crystal display monitor and
permanent oil marker, video, single channel, 4:3 format, colour, sound. Collection of © Estate of Nam June Paik Photo: Katherine Du Tiel

George Maciunas and Dick Higgins, Nam June Paik, 1964,o set print on paper, 28 x 21.5 cm, Collection of Peter Wenzel, Germany
パイクのアプローチの土台となったのは、おそらく彼の音楽家としての基礎だったのかもしれない。すでにピアニストとしての訓練を受けていたパイクは、1950年代に家族とともに韓国から東京に移り、大学で美学と音楽を学んだ。卒業後は作曲家のゲオルギウスやフォルトナーのもとで働きながらドイツで暮らした。ここで出会ったカールハインツ・シュトックハウゼンやジョン・ケージに多大に影響を受け、生涯の友人となった。パイクの最初の大作『ジョン・ケージへのオマージュ(1959年)』は、テープに叫び声、クラシック音楽、効果音をコラージュした《ジョン・ケージへのオマージュ》(1959年)であった。彼はやがてフルクサスのサウンド・ムーブメントにおける中心人物となり、パフォーマンスを「音」や「行為」の領域へと押し広げていった。

Top: Nam June Paik, Merce by Merce by Paik: Part One: Blue Studio: Five Segments, 1975-1976. Video, single channel, 4:3 format, colour, sound, 15 min 38 sec.
© Courtesy of Electronic Arts Intermix (EAI), New York | Above: Nam June Paik, Sistine Chapel, 1993 reconstructed 2021. Collection of Ulsan Art Museum.
Installation view at San Francisco of Modern Art. Courtesy of the Estate of Nam June Paik Photo: Andria Lo

Charlotte Moorman performing Nam June Paik’s TV Bra for Living Sculpture at the Art Gallery of
New South Wales in 1976 as part of Kaldor Public Art Project ‘Moorman + Paik’. National Art
Archive Art Gallery of New South Wales. Photo: © AGNSW, Kerry Dundas

Nam June Paik, TV Cello, 2003 - Single-channel video, two LCD monitors, one CRT monitor,
acrylic, plexiglass, metal, wood, rubber, cables, solid state media player, remote, power converter, adapter, power amplier and two speakers - Overall Dimensions Variable © Nam June Paik Estate
パイクの活動は音楽から始まったが、彼が最もよく知られることとなったのはテクノロジーを使った芸術だった。テレビをこれほど継続的かつ創造的に扱ったアーティストは他にいないだろう。『Zen for TV (1963) 』では、テレビでただ一本の線を放送するのみという形にまで削ぎ落としてみせた。『マグネットTV (1965)』ではテレビの上に磁石を置き、観客はそれを動かして画像を歪ませることができるようしつらえた。監視カメラの前に小さな仏像を置き、仏陀が画面に自分自身を常に穏やかに映し出すようにした『TV仏陀 (1974)』。時には植物の中にテレビを置き、まるでジャングルの動物たちかのように演出した。テレビの何もない空間に、一本のロウソクを灯したこともあった。1980年代には、ローリー・アンダーソンやデヴィッド・ボウイと共に、大規模なコラボグローバルブロードキャストを進め、更に日本人エンジニア、阿部修也氏と組んで、初のビデオシンセサイザーを作った。これらはパイクの作品のほんの一部であり、ビデオを芸術作品の素材として開拓したパイクの重要性は無限である。パイクは「ビデオとは白い紙、タブラ・ラーサである」と語った。彼にとってビデオは常に湧き出るインスピレーションの泉だった。

Nam June Paik, Golden Buddha, 2005 - Closed-circuit video (color) with television and bronze
Buddha with permanent oil marker additions 46 1/2 x 106 x 31 3/4 inches © Nam June Paik Estate

Nam June Paik, Standing Buddha with Outstretched Hand, 2005 - Single-channel video
(color, silent) with televisions, closed-circuit video (color), and wood Buddha with
permanent oil marker additions, Overall Dimensions Variable © Nam June Paik Estate
パイクの活動は音楽から始まったが、彼が最もよく知られることとなったのはテクノロジーを使った芸術だった。テレビをこれほど継続的かつ創造的に扱ったアーティストは他にいないだろう。『Zen for TV (1963) 』では、テレビでただ一本の線を放送するのみという形にまで削ぎ落としてみせた。『マグネットTV (1965)』ではテレビの上に磁石を置き、観客はそれを動かして画像を歪ませることができるようしつらえた。監視カメラの前に小さな仏像を置き、仏陀が画面に自分自身を常に穏やかに映し出すようにした『TV仏陀 (1974)』。時には植物の中にテレビを置き、まるでジャングルの動物たちかのように演出した。テレビの何もない空間に、一本のロウソクを灯したこともあった。1980年代には、ローリー・アンダーソンやデヴィッド・ボウイと共に、大規模なコラボグローバルブロードキャストを進め、更に日本人エンジニア、阿部修也氏と組んで、初のビデオシンセサイザーを作った。これらはパイクの作品のほんの一部であり、ビデオを芸術作品の素材として開拓したパイクの重要性は無限である。パイクは「ビデオとは白い紙、タブラ・ラーサである」と語った。彼にとってビデオは常に湧き出るインスピレーションの泉だった。

Nam June Paik, Candle TV, 1991 - 2003 Vintage metal television housing with permanent oil marker and lit candle 15 x 16 3/8 x 14 7/8 inches © Nam June Paik Estate

Nam June Paik, John Cage Robot II, 1995 - Crystal Bridges has become the Museum of American Art,
Bentonville, Arkansas, 2011.17. Photo: Edward C. Robison III.
「テクノロジーはもはや人体の メンブレインである」
ナム・ジュン・パイク
パイクと阿部のコラボレーションは、オーディオ・ビジュアルだけでなく、構造物としても現れた。スピーカー、布、金属部品、データレコーダーを使った、リモコンで動く彫刻『ロボットK-456 (1964)』である。K-456は、1982年にホイットニー美術館で開催された回顧展のパフォーマンスとして、車に跳ねられ破壊されるという最期を迎えた。晩年にかけて、古いテレビ、ラジオ、アンテナ、オープンリールテープなど、廃材を使ったロボット像は継続したテーマとなった。このような遊び心のあるビデオ彫刻を通じてパイクは、「テクノロジーはもはや人体のメンブレインである」と指摘したように、薄れ行く人間とテクノロジーとの境界線を描き続けた。
パイクは自らをコミュニケーション・アーティストと称した。彼は「エレクトロニック・スーパーハイウェイ」という言葉を生み出し、インターネットの時代を静かに予言していた。そして、そのユニークな活動に一貫して埋め込まれていたのは、オプティミズムであった。パイクが見つめる視線の先にはテクノロジーがもたらす世界平和と一体感があった。メディアは理想主義的であり、彼の目に映る未来は明るかったのだ。

Nam June Paik, Bakelite Robot, 2002 - Single-channel video (color, silent) with LCD monitors and vintage. Bakelite radios, 48 x 50 x 7 3/4 inches © Nam June Paik Estate

Nam June Paik, TV Garden, 1974-77, reconstructed 2002 - Live plants, cathode-ray tube televisions, and video, colour, sound. Collection of
Kunstsammlung Nordrhein-Westfalen, Düsseldorf Installation view at the San Francisco Museum of Modern Art, May 8 - October 3, 2021.
Text: Francesca Gavin
Images: Courtesy Nam June Paik Estate