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真夜中のレプリカ:
リアム・ウォンのレンズが捉えるシネマティックな世界

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リアム・ウォンの写真はまるでSF映画のシーンを切り取った様に未来的だ。ネオンライト、雨の夜そして謎の人物に溢れた写真の数々がディレクターであり、ゲームデザイナーでもある彼を写真家に変身させた。魅惑的で、妖しげに光る東京の夜の街を独自の視点で捉えたリアム・ウォンはその名を馳せ、故シド・ミードや小島秀夫らも彼を称賛した。英国で中国人とスコットランド人の両親の間に生まれたウォンは、運が大きく自分の人生を左右したと考える。そして人生に大切なもう一つの要素は: 「怖いもの知らず」であることだと言う。

しばしば、CGIやデジタルアートと勘違いされるリアム・ウォンの魅惑的な作品は「ブレイド・ランナー」や「攻殻機動隊」等の映画を彷彿とさせる。 SF映画、日本のアニメもしくはストリートスナップが好きな人ならウォンを既にご存知だろうし、少なくとも彼の作品を目にした事はあるであろう。もし、知らないのだとしたら、この中国系スコットランド人写真家の多彩なサイバーパンク的世界へと旅に出る準備をしよう。

ウォンが撮った夜の日本のフューチャーノイヤー的冒険記である「TO:KY:OO」シリーズと同様に、ウォンのシネマティックな写真の数々はカルト的信者と共に世界中の何百万人ものファンを魅了して来た; そしてマニアのみならず、同系統の映像作家、クリエイター、更にはアーティスト達のインスピレーションの源となっている。

東京の風俗街である歌舞伎町に溶け込んだかのごとく、ラブホテル前でカップルを待つタクシー運転手。秋葉原周辺で最終電車の到着を無人のホームで独り寂しく待ち侘びるサラリーマン。顔なきシルエットが雨の夜、ビニール傘の下渋谷スクランブル交差点に合流する景色。これらは、夕暮れから夜明けの間にウォンの視点で撮影された写真を通じて明らかにされる出来事のほんの一部だ。

このエジンバラで生まれ育った、ディレクター、ゲームデザイナーそして独学の写真家はかなり多くの賞を獲得してきた。「フォーブス」において、名誉ある「30 UNDER 30」に選ばれ、「英国アカデミー賞」に複数回ノミネートされ、「ユービーアイソフト社」(「ファークライ」や「アサシンクリード」などで知られる、世界最大のテレビゲーム会社の1つ)に所属当時はその最年少ディレクターでもあった。

それに加えて、ウォンのトレードマークともいえる夜景写真シリーズに特化した、デビューモノグラフであり、ベストセラーでもある「TO:KY:OO」はイギリスで最も成功したクラウドファウンディングの本となり、自身のヒーローかつ、レジェンドの小島秀夫(「Death Stranding」、「メタルギアソリッド」、「スナッチャー」)やヴィジュアルフューチャリストの故シド・ミード(「ブレイドランナー」、「エイリアン」、「トロン」)から特別な謝辞を受けた。

ウォンは自身の写真家としてのキャリアについて聞かれると、全て偶然の賜物であると答える。Eメールでのインタビューで彼は「非常にラッキーでした; タイミング良く、正しい場所に居合わせたのです」と言う。とはいえ、彼の度重なる成功は偶然では起こり得ない。未知に対し、積極的かつ大胆不敵に向き合った結果だ。 「僕がチャンスに飛び付いたのは、挑戦しがいがあるであろうと思ったし、全くの素人だったからです」自身の仕事について語る時に彼はこう説明する。

テレビゲームを愛しながら「グランド・セフト・オート」が生まれたスコットランドで育った彼がゲーム会社に就職するのも、その手のジャンルにおいて息を呑む様なビジュアルを創造することも必然であったと言える。 ウォンは大学でコンピューターアートを学んだ後、グラフィックデザイナーとしてキャリアをスタートし、優れたゲームデザイナーに転身したのだ。

写真撮影はつい数年前から彼が始めた活動に過ぎなかった。しかし、ウォンの非の打ち所のない、サイバネティックな街のストリートへと瞬時に連れて行ってくれる様な写真の数々を見ると、それはおおよそ信じられない。「写真家になろうとは全く思っていませんでした」とウォンは認める。 「よりグラフィックデザインについて学ぼうとして、カメラを手にしたのです」と彼は説明するが、すぐに写真にハマってしまい、それは「別次元の創造力への扉を開くための」カギとなった。

とりわけ、ウォンの写真への情熱は数年前に東京を訪れた時に花開いた。賑やかなネオンサインだらけの街が、全く新たな不思議の世界への扉となり、彼のインスピレーションの源となった。彼は転機となった瞬間を「雨の夜の東京と友人達からの激励の組み合わせがきっかけですね。ある写真を誰もが絶賛してくれたのです: タクシー運転手の写真です。それ以来、僕は深夜以降に街をさまよい、決定的瞬間を探し回ったのです。」と説明する。

サードカルチャーキッドとしてウォンは自身のアイデンティティーを探るべく、常に様々な角度から見ていた。「僕は自分の好きなもの(芸術、音楽、映画、テレビゲーム)を解体することに魅力を見出し始めたのです。そして、何がそれらを独特で忘れ難いものにするのかについて研究したのです」ウォンは生い立ちを話しながら説明した。この気質と絶えず世界観や物語を作り続けるという彼のゲーム業界での経験を鑑みれば、自身の芸術性を彼がいかに写真に移行させ、独自の美的感覚を形成したかを理解するのは困難な事ではない。 「アートディレクターとして、それぞれのテレビゲームに独自のビジュアルアイデンティティーを考案しました。僕の写真への情熱は高まり、ある時点で僕は自分のテレビゲームの知識と写真を組み合わせて、撮影のスタイルを確立できる事に気付きました。」

多くの人々と同様、予測不可能なパンデミックにより、ウォンの多くのプロジェクトが先送りになってしまった。しかしながら、この間彼は執拗なまでに、映画やテレビゲームとの将来的なコラボレーションを実現すべく、幾度とない会議を重ねた。そして、それらももう間も無くリリースされるだろう。 彼は言う「近い将来、映画、ゲーム両コンテンツにおいて間違いなく進化が期待できるでしょう。」

ウォンが不眠症に駆り立てられて冒険を続け、東京以外のロンドン、香港、ソウル、重慶市等の大都市にもレンズを向けた、彼の2冊目の作品集である「アフターダーク」が発表された今、私たちはウォンの完璧な撮影法の秘密、モチベーションそしてインスピレーションの源について聞いた。

あなたの経歴は非常にユニークですね。現在に至るまでの経緯をお話しいただけますか?いつ初めてカメラを手にし、意識的に写真をディレクションし始めたのですか?

グラフィックデザインについてより学ぼうとしてカメラを手にしたのです。そして旅に出るようになってからというもの、すぐにその魅力に取り憑かれてしまいました。当時はユービーアイソフト・モントリオール(「ファークライ」や「アサシン・クリード」で知られる)というテレビゲーム会社のアートディレクターとして働いていたのです。写真家になろうとは思っていませんでした。成り行きです。今になって考えると、非常にラッキーでした; タイミング良く、正しい場所に居合わせたのです。僕の「TO:KY:OO」シリーズの始まりは雨の夜の東京と友人達からの激励の組み合わせがきっかけですね。ある写真を誰もが絶賛してくれたのです: タクシー運転手の写真です。それ以来、僕は深夜以降に街をさまよい、決定的瞬間を探し回ったのです。

ゲームデザイナーと写真家の二刀流は違いの職種にどの様な影響を及ぼしていますか?ウォンさんの創造性をどの様に刺激していますか?

アートディレクターとしてそれぞれのテレビゲームに独自のビジュアルアイデンティティーを考案しました。僕の写真への情熱は高まり、ある時点で僕は自分のテレビゲームの知識と写真を組み合わせて、撮影のスタイルを確立できる事に気付きました。カメラを購入したことにより別次元の創造力への扉を開けることが出来ました。大ヒットテレビゲームというのは製作に何年もかかり、何百人も、時には何千人ものスタッフが関わります。写真は自分で撮影してすぐに誰かと共有する事が出来ます。そのおかげで、僕は写真を撮ることにより、経験豊富なディレクターになることが出来ました。コマーシャルと個人的なプロジェクト両方を手掛けたことで、自分の得意分野以外に挑戦することになり、それが僕を成長させてくれました。僕の狙いは培った全ての知識をテレビゲームに還元する事です。

生い立ちと、現在の作品に大きく影響を及ぼしている事柄についてお話し下さい。

スコットランドのエジンバラで生まれ育ちました。テレビゲームを愛しながら成長し、「グランド・セフト・オート」の開発者と同じ街出身ということもあり、ゲーム業界に就職するのは必然でした。僕の名前からも明らかですが: 僕はスコットランド人と中国人のハーフです。しかし、そのどちらの文化にも属していないと感じていました。僕は自分の好きなもの(芸術、音楽、映画、テレビゲーム)を解体することに魅力を見出し始めたのです。そして、何がそれらを独特で忘れ難いものにするのかについて研究したのです。変な話ですが、それが僕が視覚的なアイデンティティーをディレクションする道を選ぶきっかけになったと思うのです。

仕事に欠かせない道具を教えて下さい。

カメラと履き心地の良い靴ですね。豪雨の中、何時間も夜中じゅう歩き回るので大抵はゴア・テックスを全身にまとっています。

お気に入りのカメラを教えて下さい。

父親から貰い、写真にハマるきっかけにもなったローライ35ですね。35ミリカメラの中でも最も小さいものの内の一つで、電池が必要ないのです。-肌身離さず持ち歩いています。

常にモチベーションの源となっているのは何ですか?

何年もの間、僕のキャリアを追い続けて来て下さっている方々には感謝をしています。彼らからの激励と自分がアーティストとしての使命があるという感覚が無ければ、僕は途中で諦めていたことでしょう。特に去年、多くの人々が東京を訪れる事が出来なかったという理由で、僕の本を手に取ったり、僕の作品を見つけたりして下さいました。たとえ一晩だったとしても、僕の作品が世界中人々をある意味トランスポーテーションさせることが出来た、と知ることはモチベーションに繋がります。

最近、映画、音楽そしてアート界から特に影響を受けた人はいますか?

最近、映画界で僕が影響を受けている人といえば、黒沢清、ロジャー・ディーキンス、サブディ兄弟、キャリー・フクナガ、ポン・ジュノ; 音楽界では: ザ・ウィークエンド(アフターアワーズ)、フライング・ロータス(Yasukeオリジナルサウンドトラック)、デンジャー(Havenオリジナルサウンドトラック)、キシ・バシ; そしてアート界では: ツイッターがアートとイラストレーターを見つけるのは便利だと思います。自分の気に入ったものはリツイートしています。

新しい作品集をリリースされるわけですが、それについて教えてください。どんな作品が期待できるでしょうか?

僕の初の作品集「TO:KY:OO」は夜の美しさを捉えた、大都市へのラブレターでした。2作目では、目を東京以外にも向け、視野を広げました。「アフターダーク」というタイトルで深夜以降の街をシネマティックに探検し、都会の中での孤独の事象を捉えた作品集になっています。 孤立したリアルな瞬間を映画的な意図を込めて、ロンドン、香港、ソウル、重慶市等の大都市で撮影しました。

作品集の話でいうと、「TO:KY:OO」は小島秀夫と故シド・ミードによるスペシャルな前書きと、後書きがありましたが、それが実現した経緯を教えていただけますか?

自分が影響を受けた方々をインタビューで挙げたのです。驚いたことに両者とも僕の作品を目にした事があり、それがきっかけで繋がりました。僕が雨の中で初期の写真を撮影したのと同じ週に、シド・ミードの珍しい「クロノグ」というアートブックを古本街である神保町で見つけたのです。すごく運命的な瞬間だったと今でも思っています。小島さんと初めてお会いしたのは、ほんの僅かな時間ではありましたが、ロサンゼルスのE3にてでした。「ファークライ」のデモプレイを彼の前でしなくてはならなかったのです。彼のゲームをやって育ったのでとても緊張しました。数年後、自分の作品を通じて彼と繋がり、小島さんと北村龍平さんの写真を撮る機会に恵まれました。編集は小島さんの初期のサイバーパンクゲーム「スナッチャー」にインスパイアされながら行いました。自分の作品集を作ろうと思った時に、彼らに謝辞を書いていただければ、と大それた事を思いついたのですが、両者とも書いて下さったのです。

何故、東京はあなたを含め多くの人々を魅了するのでしょう?

世界中で最も写真映えする街の一つだからだと思います。クリエイターとして、東京をさまようのは喜びの一言に尽きます。本当にお薦めです。東京を去る時はいつもインスピレーションで満たされています。僕にとっては都市を構成する多くの区域が独特なのです。それは建築様式やデザインを見れば明らかです。

あなたは印象的な瞬間を捉えるのが非常に得意ですが、完璧な一枚を仕上げる秘密は何ですか?

僕は構成そして人、場所、空間のあいだの調和を通じて視覚的な明瞭さを見出します。 写真において、フレームの枠の中に何を収めるかと同様にフレームの枠の中から何を省くかはとても重要です。

写真を撮影する旅の途中には面白いエピソードもあったかと思います。記憶に残っている出来事はありますか?

これまでに様々な都市で写真家のオフ会をインスタグラムのストーリーズを通して開催してきました。香港に初めて行った夜に10人そこそこの写真家が集まり、街を案内してくれました: 隠れた裏道や屋上からの眺めは彼等が居なければ、見られないものでした。そのおかげで警察とのいざこざに巻き込まれましたが。他の写真家と一緒に撮影すると多くのものを素早く吸収する事が出来ます。何故、他人がその瞬間にシャッターを押すのかを理解することにより、新たな視点が生まれますから。

あなたのフォロワーにはレジェンドと呼ばれる様な写真家も含まれています。お話しいただける範囲で、今まで受けた中で最高のアドバイスを教えて下さい。まさか繋がれるとは思っていなかった方のお名前も挙げていただけますか?

僕からのアドバイスとしては常に才能のある人達と付き合うことです。今まで手掛けてきたプロジェクトの全てで、僕はその筋の専門家を探して、彼等から学んで来ました。僕が仕事を始めてすぐに北村龍平さんが僕をフォローして下さり、僕もすぐにフォローバックしました。それ以後、彼には何度となくお会いしています。僕にとって彼は師匠的な存在です。彼はテレビゲームと映画業界両方でお仕事をされているので、尊敬しています。僕も同じ道を歩みたいと思っています。

写真の制作過程でご自身が文化的、創造面でもしくはご自身について学んだ事はありますか?

ある瞬間を切り取って、誰かの記憶を呼び起こしたり、ある場所への旅を促したりすることが出来るというのは非常に大きな力だと思っています。僕にとってはそれが写真の魅力なのです。

Text: Darren Luk

Images: Liam Wong

Translated by: Sho Mitsui